王志弘

Wang Zhi-Hong | ワン・ジーホン

タイポグラフィへの目覚め

王さんは、ご実家が活版印刷所だったとか。

  はい、いまはもう閉めてしまいましたが、僕の実家は活版印刷所でした。子どもの頃から活字に囲まれて育ちました。活版印刷を取り巻く状況が年々厳しくなっているのは子どもながらに見て感じていたので、父が印刷所をたたみ活字を売ってしまうのは時間の問題だと思っていました。売却されてしまう前にと、当時よく使われていたものや特に気に入っていた活字を中心に、一箱分だけ取っておきました。結局、僕が20代の頃に、父は活版印刷所を閉めました。

王さんはタイポグラフィに強い関心をお持ちですが、活字に囲まれて育ってこられて、いくつぐらいから文字に興味を持つようになったのでしょうか。

  高校生ぐらいかな。結構大きくなってからですね。自分の生まれ育った環境が特別だとは、子どもの頃はまったく意識していませんでした。後年、日本で活版印刷が見直され、多くの方々がその文化を継承するための活動や研究に取り組んでいるのを知り、そこで初めて自分の家業を顧みた気がします。数年前に鉛活字を用いた立花文穂さんの作品を見たとき、これは活版印刷に触れたことのある人にしか、本当にはわからないデザインだと思いました。活版印刷では、使いたい文字がないときに活字を裏返して組むことがあります。「ゲタ」と呼ばれるのがそれなのですが、立花の作品に見られるゲタの模様も、活版印刷に接していないと、それがどういうものだかわからないと思います。自分の見慣れた、何気ないと思っていた活版印刷や活字たちが、他者から見れば特別な存在であるということに、後から気付かされました。これはとても良い経験だったと思います。

作品を拝見していると、文字に対する独特な美意識を感じるので、活字の存在が何か影響しているのではないかと感じました。

  先ほどから僕の手がけたいろいろな書籍を見ていただきましたが、僕は日本文化のとても細やかなところ、優れている部分を長年観察し、それらの考えや経験を吸収しながら、影響を受けてきたのだと思います。

学校は復興商工職業学校の広告デザイン科だったとのことですが、なぜそこに入られたのですか?

  当時、他に選択肢がなかったんです。台湾ではタイポグラフィやエディトリアルデザインの歴史はまだ浅く、僕が学生の頃には、それを学ぶ場もなければ、ビジュアルコミュニケーションや視覚伝達デザインを学べる場もなかった。当時の選択肢はただ二つ、一つが広告デザイン科、もう一つが美工科(製品や空間やメディア伝達などさまざまなデザインコースをもつ)です。そのなかで僕のやりたいことに近いのは広告デザインで、仕事に応用できると思ったからです。

そこでデザインの勉強をして、卒業後、どこかデザイン会社に入社したのですか。

  いえ。広告デザイン科の卒業生にとっては、広告会社が憧れの就職先でしたが、僕は広告の仕組みや手法があまり好きではなく、その仕事は自分に向いていないとわかっていました。ですから、学生時代から、主にグラフィックデザインの仕事を受けながら学校に通っていました。僕は、文字がしかるべき空間に収まり、それらの配置が美しい画面として構成されていくことに、深い満足感を覚えます。広告会社では得られないことです。