小子

Godkidlla | シャオツー

「小子」はこうして生まれた

ここで小子さん自身のことをお聞きしたいのですが。そもそも、小子さんはなぜデザイナーになられたのですか。

小子 きっかけは、国立高雄師範大学の美術科に通っていた2年生のときです。家の経済状況も良くなかったし、パソコンを使って何かをつくる仕事をしたいと思って、本を買って独学でグラフィックデザインを勉強しました。そうして、よくできたと思う作品を持って、いろいろな先生に見せに行きプレゼンしているうちに、仕事を任せてもらえるようになっていきました。当時は「グラフィックデザイナー」という職種があることもわかっておらず、周囲から「デザイナー」と呼ばれるようになって初めて、自分がしているのはそういう仕事なのだと自覚が芽生えていったという感じです。

作品を見せに行った「先生」とは、プロのデザイナーのことですか?

小子 そうとも言い切れないですね。一応デザイナーなんですが、受けている仕事のほとんどが政府関係のものでした。役所関係の印刷物は、ひどいデザインのものが多いから……。そういうものをメインに手がけている人のことを「デザイナー」と呼べるのかどうか、僕には何とも言えません。

仕事を始めた当初は、どういうジャンルのデザインを手がけたのですか?

小子 最初の頃は、展覧会の企画やデザインを手がけていました。展覧会のポスター、DM、フライヤーといった印刷物のデザインから、空間デザイン、ひいては全体のプロデュースまで担当しなくてはなりませんでした。

現在はどのジャンルの仕事が一番多いのですか。

小子 いま受けている仕事の比重だと、一番多いのがブックデザイン。次がCDジャケット、それから映画や映像関係の仕事も結構多いです。また、実は高雄で「三餘書店」という店を経営していて、まもなく2店目がオープンします。

書店経営まで!? ブックデザインの仕事が増えたのは、何がきっかけだったのですか。

小子 僕は本そのものや書店巡りが好きだったため、以前からブックデザインをやりたいと願っていました。書店で先輩デザイナーの作品が並んでいるのを見ながら、「いつか自分のデザインした本もここに並べたい」とうずうずしていたのを覚えています。そんな願いを胸に、常に機会をうかがいながら、一つ一つチャンスをつかんでいったように思います。それはあたかもコンピューターゲームをプレイするときの、一つのハードルをクリアしてはまた次のステージに進んでいくかのような、あの感覚に似ています。

僕は書店に行き、本の奥付に載っている出版社の連絡先やメールアドレスを書き留めては、自分の作品にコメントなどを添えて送り続けました。150通ほど送りましたが、1社も返事がなかった。けれどその後、ついにとある出版社から連絡をもらえた。とても嬉しかったのですが、聞いてみると、官能小説のカバーデザインの依頼でした。僕はもともと日本の禅を思わせるシンプルなブックデザインが好きで、その方向性を目指していたんですが、官能小説というジャンルでは僕の提案は却下されるばかりでした。出版社の要望はいつも「タイトルの文字は大きく、色は鮮やかなもので」。どうあがいても彼らの要望に打ち勝つことはできなかったので、僕は抗戦をやめ、いっそ徹底的にそちら側に加わってやろうと思いました。

それからの僕は、彼らの要望通り、タイトル文字をうんと大きくし、色鮮やかにと言われればとことんカラフルにしました。彼らの希望に近づけるよう、僕なりに最大限努力した。でも、良い作品にしたいという思いだけは忘れず抱き続けていました。不思議なもので、そうこうしているうちに、だんだんそれが自分の作風として定着していった。いまでは「文字が大きくカラフルなデザイン」イコール小子というデザイナーの個性として認識されています。官能小説に限らず、たいていの台湾の出版社は「文字はなるべく大きく入れて」と言ってきます。彼らに「文字はできるだけ小さくしてね」と頼まれるのは、おそらく僕ぐらいではないでしょうか(笑)。

やがて、ジャンルや出版社を問わず、いろいろなブックデザインの仕事を頼まれるようになっていきました。小さなチャンスをものにして積み重ねていくうちに自分の仕事の幅が広がっていったという感じで、いろいろな人の縁にも恵まれ、今はこうして、やりがいのあるブックデザインの仕事をやらせてもらっています。